a flood of circle『GOLDEN TIME』インタビュー
INTERVIEW[2014.12.12]
●去年からの流れですけど、全県ライブがあって、ファイナルの野音があって、さらに夏には全曲ライブと、実際やってみてどうでした?あれ発案は佐々木君?
佐々木:まあ、でもスタッフと話しててってところですよね。なんか面白い事やろう、って流れ(笑)で、全県でしょ!ってなっちゃったんですよ。でも前に、宇都宮かどっかのライブハウスでガガガSPかな?「全県ツアー」ってポスターを見て、かっこいいな、いつかやりたいねって。でもいつやるかって、言い出すの勇気要るじゃないですか?時間かかるの分かってるし、正直金もかかるわけだし。多分、俺達も変化を求めてたんですよ。今までアルバムを毎回違うメンバーで作って来ちゃったって前に言ったじゃないですか。4枚目までは同じメンバーで作ったことなくて、『I’M FREE』は5枚目のアルバムで俺・ナベちゃん・姐さんの3人で作って…それって普通の事なんだけど(笑)俺等からしたら、同じメンバーで作れたっていう喜びと、ここで変に固まりたくないっていう気持ちもあったんですよ。それもあって、ライブで違うことをやっていく、全県ツアーをやろうって。前からツアーは面白いことしようって色々やってたんですけど。もう、全県でしょ?って。皆「えぇ?」ってなりながら(笑)。ドキドキしてっけどやってみっかって。それこそスタッフとか、他の仕事キャンセルして来てくんなきゃいけなかったんで、大変だったんですけど。まあ変化を求めてってところでしたね。
●当時の「現状」にちょっと危機感みたいなものもあったとか?
佐々木:んー、そうですね…多分、2011年の『LOVE IS LIKE A ROCK'N'ROLL』までのツアーで凄い手応えを感じてて、そのアンコールツアーで2マンライブをして、最後はBLITZでTHE BACK HORNと演ったんですけど、それが2012年の夏くらいで、そのあとレーベル移籍して『FUCK FOREVER』を出したんですけど、そこまでの流れは良かったんですよ。『FUCK FOREVER』のツアーの辺りでメンバー間でももっとやれるんじゃないかって、凄い話し合ってギスギスしてバトルしたり。その次のツアーとして2013年どうするか、2013年から2014年の流れとして、ツアーを考えてたから、その危機感はありましたね。でもそういうのは毎回あるんですけどね。常に変化しようっていう意識の中から出てきちゃったかな。やりきってみよう、やってから後悔しようみたいな。
●で、どうでした?
佐々木:全県行って、全ての街に「ただいま」って言いに行ける権利を今持ってるっていうのは凄い強みだと思ってるし、もう、大学生の時と一番違うなって思うのは、自分でこれで飯喰ってて、毎日演奏して、毎日誰かが3,000円払ってCD買ったり、チケットを買ってくれてるっていう…やっぱり俺の人生はここで回ってるなと思うし、来てくれてる人とか聴いてくれてる人への気持ちも凄い強い。だからMCでよく「皆をもっと良い景色見える場所に絶対連れて行くから」って言うんですけど、そういう覚悟みたいな物が口だけじゃなくて本当に体で出来てる、ような気がしてて。それは全県ツアーやりながら体感出来たのは自分でも強みだなって思った。野音もDVDにするぐらい、俺達にとっては集大成のライブだったんですけど、やっぱまだいけるなって思う部分があったんで。野音は一つのチャレンジとしてあったから、達成できた部分と足りない部分が分かってきて、椅子席だったらこう戦うべきだ、みたいな課題も出て来たんで。だから、それは自分でいうのも何ですけど「のびしろ」だと思ってやりたいし。全県ツアー終わっても、まだまだだなって思いますね。
●あそこに立って、でもまだ上をっていう意欲が強みだと思いますね。
佐々木:根が悔しいで出来てるんで(笑)。まだ行けるぞって。悔しいのハードルが上がれば上がるほど良い曲が出来てると思うから。バンドにとっては良い事だと思うんですけどね。
●そして全曲ライブ「レトロスペクティヴ」も凄かったですね(笑)。
佐々木:「レトロスペクティヴ」ねー!これも、一つの発奮剤みたいな意味合いがありましたね(笑)。東京3デイズのあとリクエスト形式でツアーもやったんですけど、岡山と福岡と京都だけ。それが前体制での集大成になったんです。今思うとあの全曲ライブが今の、Duranが入る前までの形の節目にはなったのかなって思って。全曲ライブやるにあたってはアルバム作る前の、まさに発奮剤にしてやろうと。全県ツアーでポンポン曲出来るかと思ったら案外そうでもなくて(笑)。
●ああ(笑)でもライブ・移動・ライブ、とかで時間もあんまりないだろうし。
佐々木:そう、曲のタネを作る時間はあったけど、まとめられる程の時間はなかった。その間に『GO』を作らなきゃいけなかったりとか。だから締切には追われてましたね(笑)。全曲ライブ前にデカかったのは『GO』の制作だなって思っていて。CM作ってる人の方から頼まれて、っていうのは初めてだったから。凄いやりがいあったし。全県ツアーのスピード感の中で作ったから、意外とCMに寄った部分もあるけど、a flood of circleっぽい、ストレートな曲だなって自分では思ってて。今回アルバムの一曲目にも入れて。ああいう、凄いスピードの中で作るっていうのは身になったなって思いますね。全曲ライブやる前にそれが出来たのはよかったなって。で、全曲ライブやったのは、過去の曲全部見渡せたんで、単純に。具体的に演奏して、どういう事をやってきたのか、どういうコードでどういうメロディで、自分が音楽を作ってきたのかっていう。
●一度俯瞰できたっていう。
佐々木:そう、それによって、じゃあ出来てないことは何なのか?っていう。俺にとってはライブバンドとしてどうこう、っていうストーリーはあるけど、もっと、アルバムに向かっていく作業ではありましたね。
●本当に1曲もかぶってなかったのが凄かったなと思います。
佐々木:そうすね、今思うとねぇ。『プシケ』とか皆3日間やると思ってたみたいですけどね。メンバー紹介入ってるから。
●やっぱり全員体力的にボロボロに?(笑)。
佐々木:もうボロッボロでしたよ(笑)。演奏じゃないすよ(笑)。アホって言うかやんなきゃ良いじゃんってトコなんですけど、あれをやった意味はやっぱ凄いあったし。アルバムの為にも勿論なってるけど。自分たちで課さなくて良い課題まで課してやってきてるから、そのギリギリ感でしか生まれない物が絶対あるってライブの現場でも作曲としても、そういう事を証明できたんじゃないかなって。今回ドキュメンタリー映像をアルバム初回盤DVD付けてます。うん、来た人達は良かったって言ってくれる人が多かったし、やってきたことが間違いじゃなかったって言う為のライブにはなったなって。俺が大事にしてきた人達は…違うな俺が大事に思ってきた人達、逆に大事にしてきてくれた人達に対して見せられたと思う。あと石井(元メンバー・ベース)が来たっていうのが象徴的でしたけど。
●もうね、ビックリした。わーって駆け寄った(笑)。
佐々木:(笑)石井と今のスタッフが知り合いじゃないとか、歴史を感じちゃって、フラッドって8年9年やってるバンドなんだ、そう言えばって。10年目来ちゃうのかって。
●あと、あのライブが凄かったのは、前に関わってた人達が各日に来てたっていう。気恥ずかしいから挨拶しないで帰るって言ってた人もいて。その時代その時代の。だからフラッド愛されてるなと思いましたね。
佐々木:そう、前のレーベルの人とか来てくれたりとかね。俺は今まで友達が居ないとか思ってやってきてたけど、こんなに愛されてるんだ(笑)っていうのは、あの日凄い感じました。逆に言うとあの3日間に関しては4人でステージ立つしかないわけだし、そこで戦ってきた物で少なくとも感動してくれた人がいると思うし。それをこっちも感じたから。あの3日間をやって・・・俺、岡庭(匡志)が失踪した日のライブを思い出したんですよ。2009年7月12日の代官山UNITを思い出して、あん時も超ボロボロで。あん時ほど後ろに何も無い崖っぷち感は無かったけど、あん時も笑ってる人もいれば泣いてる人もいるライブだったし。あの3日間も、スゲー楽しみにだけ来てる人もいれば、実はフラッドもうメンバー変わって見たくなかったんだけど初期の作品演るなら見てみよう、と思った人もたくさんいたし。ファーストの頃しか好きじゃなかった人、今しか好きじゃない人がバラバラに居て、でもそれぞれの人たちに「今のフラッドこうなんすよ」って見せれた、そのダイレクトな感じがあの2009年のUNITを思い出させたんで。「伝わってる」って、喜びか悲しみか分かんないですけど(笑)何か心を動かせてるって実感できたから。それはライブバンドとしては凄くデカかったですね。今のメンバーで昔の曲演るとこんなにかっこいいんだぜっていうのを見せ付けたかったし、演奏してる側としては当然じゃないですか?今が一番かっこいいって。でもそれ以上の処まで行けた気がして。だからあの3日間は一生忘れないと思いますよ。あの気持ちは。姐さんとか3日目終わった後涙こぼしてましたからね(笑)。最後の三時間半の後は、姐さん足もくじいてたし、心身ともにボロボロっていう。ナベちゃんも凄い、気持ちを緊張させて演ってたし、色々ありましたね。

●先程もちょっと話に出ましたが佐々木君はグレッチと契約したとの事なんですが、具体的にはどんな事なんですか?
佐々木:ギターのエンドース契約をしました。スゲー具体的に言うと、老舗のグレッチっていうギターメーカーのギターを、中古屋で買ってたんですよ。全財産かけて買って凄い大事に使ってたから、そのうちだんだんこう…さっき話したグレッチおじさんが「グレッチ使ってくれてるんだ?」ってなって、修理とかやってあげるよって、無償でやってくれてたりしてたんですよ。実は去年からお世話になりますって感じだったんだけど、そんな重大な事だって知らなくって。弦とか修理とか周りのこと全部サポートしてくれてるんですけど、あと人生相談聞いてくれたりとか(笑)。で、最近になってグレッチおじさんがぽろっと「実は契約って日本人では佐々木君が初めてなんだよ」って。「ええ!」ってなって、スタッフと話して面白いからニュースにさせて貰って。グレッチのアメリカのカタログに佐々木君の写真載せたいって言われて、だからブライアン・セッツアーとか凄い人しか載ってない処にふと佐々木亮介が現れるっていうね(笑)。日本人では初めてっていう、その人も知っていながら何かコーヒー呑みながらサラッと。書いておくとこっちも手伝いやすいからさって。
●おおー。そのカタログはもう出てるんですか?
佐々木:まだですね。あ、でもドラムマガジンの広告に俺とナベちゃんで出して頂いたりして。グレッチのロゴと同じ書体でa flood of circleって書いてもらって。あれちょっと感動しましたね。最近そういう、メディアとかで出していただけるチャンスも増えたけど、例えば先輩バンドとか楽器メーカーとか、ちゃんと一ミュージシャンとして認めてくれてるんだっていう空気が前より感じられてるのが、俺凄い嬉しくて。勿論聴いてくれる人に届けるのが一番だけど、俺が尊敬してるそういう伝統を守ってきた人達がa flood of circleを仲間として認めてくれてるのが嬉しいなって。だからこそぶっ壊したいっていうのもあるし。

●ではそろそろアルバムの事を。
佐々木:そうですね(笑)。まずは感想聞きたいです。
●(笑)凄くバンドらしいアルバムだなって。カッコよさもダサさもあって、バンドの人格が見えてくる。
佐々木:ありがとうございます。
●変化の中で作り上げた作品という事で、アルバムとしては一年ちょっとぶり?
佐々木:一年4ヶ月とかかな。最初は…Duranが予定外過ぎて(笑)。まさか新メンバーで一枚目ですってまた言うとは思ってなかったんで(笑)。それは正直最初予定してたアルバムイメージ、サウンドっていうのは全然…やっぱギターのイメージが全然違ったので。それこそ『I’M FREE』出来た後のイメージ、は、『Golden Time』とかキーになる曲は今年に入ってから出来たんで、それは模索してましたね。『I’M FREE』までで一つ完成したと思ってるので、結構やりきったっていう感覚でいたから、この後どうしよう?っていうのもあったんです。だからその為に自分探しじゃないですけど、全県ツアーやったり。まあでも自分探ししても自分の中にしかないって分かってたんで、人のせいにしたくないなって思ってたんですけど。だから時間かかっちゃいましたね、前まで歌詞から曲書くのが多かったんで。だからメロディとかリズムとか使ったこと無いコードから作ろう、ロックンロールバンドは普通これやらないでしょっていうコード進行とか、結構音楽的に実験して作って行こうと自分でも思ってて。それも時間かかった要因だと思います。
●じゃあ歌詞とか全体のイメージとかよりは曲先行して作っていった?
佐々木:そうですね。ロックンロールバンドが何をやったら面白いんだろうってそういう考え方で作ってみようって。自分も曲作り始めて…8年とかやってるから何か打破しなきゃって思いがあったんで。姐さんが入ってから『LOVE IS LIKE A ROCK'N'ROLL』、『FUCK FOREVER』、『I’M FREE』っていうのは俺の中では三部作的なイメージがあったから、それで完結してると思ってたしギター入れるつもりも無かったから、ネクストステージに行く為の作曲の作業をしようって思ってたので。それを全県ツアー中に見つけなきゃって思ってたんですよね。だから最初のテーマっていうか、何処に辿り着くかをまず見つけなきゃって感じでしたね(笑)。
●なるほどー。模索・模索で。
佐々木:そう、全県ツアーで何が待ってるんだろう?って。本当に今年に入ってから完成した曲ばっかりで、モチーフがあったのは『KIDS』、『アカネ』、『Party!!!』と『ホットチョコレート』くらいかな。それも曲として完成してたわけじゃなくてイメージとか断片があるだけだった。
●じゃあDuranさんが入るくらいになってから一気に全体像が見えたような?
佐々木:うーん、Duranが入ってからの曲と、その前に出来てた曲とあって、『KIDS/アカネ』が出来てたのが一つ大きかった。これ1月ぐらいにレコーディングして、4月に出したシングルなんですけど、『I’M FREE』出すちょっと前ぐらいに「東北ライブハウス大作戦ツアー」を回って、その時にこの気持ちを言葉より前にメロディにしようって。言葉でもいっぱい出てきちゃうけど、敢えてメロディから作る物でこの気持ちを曲にしとこうっていうのがあって。そういう意味でメロディから作るっていう作戦で最初に成功したのがこの2曲だったんですよ。俺は良いシングルが出来たなと思ってたから一つ自信になって。これが出来て、何となくアルバムの作り方が見えてきてた。同時に『GO』も作ってたし。
●新しい手法を手にしたって事だ。
佐々木:そう、それはやっぱり今年に入ってからですね。Duran入る前にそういう何となくの手応えは掴んでいたのがデカかったんですけど、そっから先が長かったな。レコーディングギリギリまで曲が出来なかったとかありましたからね。