ネモト・ド・ショボーレ対談連載
TALKIN' REC TAPES #3ゲスト:キングジョー
SPECIAL[2014.07.09]


ネモト:ジョー君とはガレージに行きつく過程も似てたんだよね。ガレージって聞き方が色々あるじゃん。
ジョー:あるね。
ネモト:サイコビリーとかの流れの人もいるし。でも俺らの世代は最初からガレージってなかなか辿りつけないよね。情報がほとんど無かったから。だからまず60年代のバンドが好きで、モッズ族みたいのに憧れて始まったところがあって。でもモッズは決まりが色々あるんだよね。
ジョー:特にあの時期の関西は排他的だった。
ネモト:東京のモッズシーンには俺も凄いお世話になったし、黒田学さんとかにはよくしてもらったけど。モッズのシーンって色んなところへ派生していて、渋谷系もそういうところから出た人多いしね。
ジョー:Soulcrapなんてバリバリやんね。
ネモト:タイキ君はバリバリモッズだったよ。スティーヴ・マリオットみたいな感じで。オリジナル・ラブ、ヒックスヴィルとか、ワック・ワック・リズム・バンドとかもその周辺のシーンからだね。でもちょっとしっくりこないなってところでガレージパンクに出会って。自由な感じだったよね。
ジョー:モッズのシーンだとシャツをズボンから出してとか許されんかったしね。
ネモト:ズボンの裾は何cmとか。あとスマートじゃなきゃいけないっていうのがね。スクーターに乗ってないと馬鹿にされるとかスーツも仕立てたものじゃなくちゃ駄目で。
ジョー:仕立てにも細かい決まりがあったりして。
ネモト:言い出したらきりがないくらいのスタイルの決まりがあって、そこまで興味がなかったというか。元々は60年代のザ・フーとかキンクスとかが好きで、ああいうのと同じ格好がしたいっていうだけで始まってるから、モッズ族になりたいというのとは違ってた。
ジョー:それでそういうのを好きになったら、その基になった黒人音楽も好きにならないと駄目っていうのもあって。でも当時全くそんな気なかったよね。
全員:(笑)
ネモト:俺も18、19歳位の時に興味持ったけど、マディ・ウォーターズとかハウリン・ウルフとか当時は全く何とも思わなかったからね(笑)正直ストーンズですら、テンポが遅くてブルース色が強い曲はあんまりピンときてなかったから。激しくてポップでパッとしたやつが好きだったね。
ジョー:ね。ビートがあって。
ネモト:ガレージパンクって60年代に色んな国でストーンズとかビートルズとか流行って、俺もやってみようとか思った高校生とかの音楽だから。演奏力もないし、ウワーッ!てやってるのがいいっていう、ざっくり言うとそんな感じで。
ジョー:初期衝動だけやもんね。
ネモト:ある一定の時期に集団発生した変な音楽だもんね。でもジョー君の方がガレージパンク一色だったよね。俺はモッズとかギターポップの人とも繋がってたし。60年代的なアプローチをしてたギターポップバンドのN.G.THREEとかと新宿JAMで知り合って、こういう人もいるんだって。そこで俺は下北沢でジョー君とは少し違う方向に流れていった。
ジョー:関西だったし、そもそもガレージパンクってものがなかったし、イベントもなかったから、ブッキングでレッチリみたいなバンドと対バンさせられたりしてて。
全員:(笑)
ジョー:自分でマグニチュード3ってバンドを始めて、東京のJACKIE&THE CEDRICSとかThe 5.6.7.8'sとかを月に一度呼んで、そんな中で段々ちょっとずつ関西にもガレージパンクシーンが浸透していって。
ネモト:やっぱりThe 5.6.7.8'sは大きかったよね。それとギターウルフの存在はめちゃくちゃ大きいよね。海外に行ってくれたってことも。
ジョー:『キル・ビル』に出たりとかね。ガレージはガレージでもまた別だけど、その頃はTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが凄い人気あって、ミッシェルきっかけでガレージ入った子も多いでしょ?
ネモト:多いね。いま東京のガレージ・シーンでがんばってるTHE FADEAWAYSとかそうだよね。あとBLANKEY JET CITYも人気だったよね。
ジョー:ミッシェル、ブランキー、ギターウルフの御三家がスペースシャワーTVつけたらいつも出てた時期があったよね。
ネモト:いわゆるガレージバブルと言われてる時期だね。GYOGUN REND’Sとか出てきて。東京はダディ・オー・ノブさん(当時はケイブマン高橋)っていう、本当にガレージパンクにこだわって「BACK FROM THE GRAVE」っていうイベントを始めた最初の人がいて。音楽だけじゃなくて、B級ホラー映画とか文化も含めて色んなトータルイメージでやった人なんだけど。その「BACK FROM THE GRAVE」が最初JAMでやっていて。そのJAMでの最終回にバンドが一つ出れなくなって、代わりに一番最初に出たのがTHE EVIL HOODOOの前身バンドのVOX WAH WAH PEDALだったんだけど、レコードでしか聞いたことない曲ばっかりやってて、うわっ!と思って。特に彼らは1966年のガレージパンクだったんだよね。ルックスから楽器から全てが完璧で、それまで見たことないバンドだった。
ジョー:きちっとした世界観を作って、それを体現してた。
ネモト:びっくりしてボーカルのタクヤに話しかけて。でもその時俺、モッズパーカーとか着てて、「そういう感じなんだ?」とか言われてカチンときた覚えがある(笑)。当時はイギリス派、アメリカ派ってあったから。
ジョー:ナチュラルに無礼なことを(笑)。
ネモト:その後、THE EVIL HOODOOになって、めちゃくちゃ好きだったからライブよく行ってたし、後にTHE OUTSってバンドが出来て、それをDECKRECからリリースしたり、俺がギターやってたThe Mighty Mogulsともよく対バンしてたりずっと繋がりがあって。
ジョー:その時に俺がライナー書いたりしてね。
ネモト:俺がどうしてもまたTHE EVIL HOODOOを見たくて、メンバー一人一人を口説き落として、1回だけ再結成ライブをやったの。ノブさんに許可を得てイベントは「BACK FROM THE GRAVE」で。
ジョー:その時は俺もDJやったよね。
ネモト:そう。ジョー君ともまだ知り合ったばかりで。2000か2001年の時で。そのときがきっかけでTHE OUTSになった。THE EVIL HOODOOのドラム以外がメンバーで。
ジョー:あの時DECKRECマガジンって出してたよね。
ネモト:うん、高いお金出して広告出すのが嫌でファンジン作ろうと思って。それもジョー君に書いてもらったね。
ジョー:小説かなんかも書いたよね。
ネモト:まだうちに原稿あるよ。
ジョー:(笑)
ネモト:でもあのファンジンは思いのほか結構影響力あって、地方の子から「あれ読んでその気になった」とか言われたりして嬉しかった。いま青森のロックフェス「夏の魔物」やってる成田君からも「読んでました」って言われたことあるな。
ジョー:へぇー、そうなんや・・・おたがい色んなことやってきたよね。
ネモト:ガレージパンクに関することは語り切れない程あるよね。
ジョー:そうやね。もうしてないことはないくらいしたね。
ネモト:面白いバンドもいっぱいいたしCDも今より売れてたしね。俺はノブさんとか黒田学さんとかやってきたこととかにもの凄い影響受けて、でもこれは俺には出来ないなって、もっと分かり易い感じでやりたいなと思って。その時にデキシード・ザ・エモンズとかN.G.THREEとかサニーデイ・サービスとか60年代に影響受けた音楽をやっていて、ガレージとかをマニアックに聞いてない普通の子たちからも支持されていたバンドが身近にいたんで、DECKRECはそういう空気感でやりたいなって思った。ある意味ミーハーな感じで(笑)。
ジョー:でもネモト君は偉いよ。色んなバンドちゃんと面倒見たりとか、『場』を作ったりして。
ネモト:ガレージバブルって言われてた時代、多分DECKRECはその恩恵を受けてたなって思う。今思うと。ミッシェルとかきっかけでガレージ好きになった子が買ってくれてたんだなって。
ジョー:あん時一番ええ思いしたんは誰なんやろね。レコード会社かなぁ。
ネモト:でも振り返ると分かり易いよ。DECKRECは元々そういうものが好きで、たまたま流れとぶつかったって感じだったけど、他のレーベルでもガレージバンドを出したりして。仕事で今これが来てるみたいに出してたりね。
ジョー:あの頃はまだ景気が良かった気がするね。
ジョー:俺もその頃イベントとか行くと、「キング!」とかって持ち上げられてなんか全部のガレージパンクの責任背負わされてた時期あったから。
全員:(笑)
ジョー:「あんなバンドいいんですか?!」とか「僕らガレージって言ってもいいんですか?」とか、そんなん知らんわって思ってた。
全員:(笑)
ネモト:変に権威づけられる。
ジョー:そうそう。変な旗や看板しょわされたくない。だけんわざと違うことやったりして。