ネモト・ド・ショボーレ対談連載
TALKIN' REC TAPES #6ゲスト:松田“CHABE”岳二【前編】
SPECIAL[2016.09.14]

●CHABEさんは楽器が出来なかったと仰いましたが、10代の頃とかは音楽は好きだけどバンドをやったりはしていないということですか?
CHABE:厳密に言うと、ベースを渡されて3コードの曲をやったり、鍵盤弾けって全然弾けないのに高校生っぽい感じでやったりはあって。
●バンドやるから一緒にやってよっていう感じで。
CHABE:そうそう。友達だし。でもその頃は練習嫌いだったんだと思うんですよね。DJって練習いらないじゃないですか。
ネモト:(笑)。極端に言うと、レコードかけるだけだもんね。
CHABE:そう。頑張ってレコードを買うってことが大変だけど、そっちの方が性に合ったんだと思うんですよね。そのレゲエのクルーに所属してた時に、ダンスホールレゲエってレコードのB面のカラオケをかけて、自分たちで作ったリリックを歌ったりするんですよ。実はその時から、Ramonesもやってる『Do You Wanna Dance』歌ったり、Sam Cook歌ったり、オールディーズの曲はその時に結構歌ってるんですよ。
ネモト:レゲエの人ってオールディーズの曲結構やるもんね。スキンヘッド・レゲエ聴き始めた時、オールディーズの曲のカバーが多くてびっくりした。
CHABE:あれは僕らにとって入りやすかったですよね、オールディーズが好きだったから。ジャマイカの新譜がEverly Brothersとかのメロを歌って、DJがDJしてっていうのがとにかく好きで。だからレゲエの時はオールディーズを歌ってたんですよ。それをやりつつレコードをどんどん好きになって、いわゆる”渋谷系”の人脈、カジ(ヒデキ)くんや仲(真史)くんとかと繋がっていくと、あの人たち、どんどんレコード買うから勉強になるし、その瞬間の新譜とかも買いだすと、自分の中のバランスが取れなくなってきて。それで25歳の時に、クルーエル・レコーズから出たフリーダム・スイートという山下洋くんがやってたバンドで、パーカッションを始めたんです。その頃、山下くん、瀧見憲司さんと二人でやってた渋谷のThe Roomがオープンして、そこのオープンスタッフでYOU THE ROCKとかが働いてたりして。
ネモト:それは何年位?
CHABE:92年位かなぁ。そこに行ったらコンガが置いてあって、店長さんが元パーカショニストで。酒もそんな飲まないし暇だったから、バイト9時までやって、10時までレコ屋開いてるところ廻って、10時になったらThe Roomに行ってコンガ教わってってやってたら、山下くんが「今度バンドでラヴ・タンバリンズのフロントアクト見たいので数曲やるから、チャーベくんパーカッションやろう」って言われて、そこからまたバンドをやることになったんです。
●そこがスタートなんですね。
CHABE:そうですね。僕、ギターを始めたの30歳なんですよ。その後、フリーダム・スイートの鍵盤奏者とパーカッション奏者がスピンオフみたいな企画で、堀江くんとニール&イライザを組んだんです。
ネモト:そこからソロのCUBISMO GRAFICOをやるきっかけは何だったの?
CHABE:堀江くんがコーネリアスの『FANTASMA』の世界ツアーに行っちゃったから(笑)。
ネモト:(笑)
CHABE:これは俺暇だなと思って。ちょうどリミックスの発注が入り始めて、手探りながらリミックスを作り始めてたんですよね。それでもらったお金で機材とかギターとか鍵盤買って、弾けないながらも始めたんですよ。リミックス3曲目くらいの時に、仲くんが「ソロ出そうよ」って。「分かった、じゃあ作る」みたいな感じで作り始めた。
ネモト:バンドマンからすると、簡単にそういうことできちゃうんだっていう衝撃があったよね。基本的に生演奏でしなきゃいけないと思ってるし、サンプリングを知ってはいても、やり方もわかんないし。ライブでも音源でも、自分でやりたいことを形にする方法論が違ってたというか。
CHABE:僕のソロは完全な再現とかできないですからね。サンプリングで作っているから。A Tribe Called Questの感覚でソフトロックを作りたいって感覚だったので、HIP HOPのトラックみたいのを作ってるんだけど、上に乗っけていくのはラップじゃなくて、メロを乗っけていくとか、そういうのをやりたかったんですよね。
ネモト:いい時代だった、サンプリングが自由で。
CHABE:そうですねぇ。サンプリング楽しいんですよね。
ネモト:でも、今は権利関係が厳しくなってて難しいけど、本当はみんな今もどんどんやればいいと思ってる。表現方法のひとつだし。だからVIDEOTAPEMUSIC大好きで。
CHABE:VIDEOくんね。この間ライブ見て「去年のアルバムで一番聴いたのVIDEOくんかもしれない」とか話してたら「何をサンプリングミュージックの元祖が」とか言われて(笑)。
ネモト:(笑)。バンドマンみたいな観念の子が見ると衝撃だと思うよね。発想、アイデアで難しいと思っているものも作れるっていう。

●先程、CHABEさんからも”渋谷系”という言葉が出ましたが、実はこれまでのネモトさんの対談連載では”渋谷系”というキーワードが何度も出てきているので、渦中にいたCHABEさんにもお話を聞ければと思うのですが。
ネモト:あぁ、そうなんだよね。それは、俺の渋谷系コンプレックスっていうのがめちゃくちゃあって。その頃、俺はモッズで60年代以外の音楽は聞かないみたいになっていて、その時に渋谷系が出てきて、自分がやりたいことを簡単にやってしまった気がしたの。それで憧れと嫉妬と色々入り混じってたんだけど、10何年か前に友達のキングジョーが「最後の渋谷系、最初の渋谷系再評価」と言い出して、それを面白いなと思って、そっから変わってった。
CHABE:それこそRON RON CLOUとかも、その端っこにいたような感じもあるしね。N.G.THREE、NORTHERN BRIGHTがあって。僕とかはNORTHERN BRIGHTは渋谷系じゃないだろう、そもそも渋谷系って何だ?っていう。やっぱり僕は一番思っているのは、HMV渋谷の太田浩さんと、あの売り場とあの雰囲気なんで。それこそヤン富田さんの音楽とニール&イライザは全然違う。でも一緒に買う人がいるっていう、あの提案の仕方、太田浩のセレクトショップが渋谷系だったんだろうなぁって思うんですけど。
ネモト:一個人のマイブームなんだよね。俺もレーベルでは自分の個人的な主観で、そのとき良いなって思ってるものしか出せないから、みんなそうなんだろうなと思う。シーンとかって、それが広がって出来るものなんだろうし。
CHABE:それをできると商売なんですよ。
ネモト:でも、商売になっていくと終わっちゃうっていうかね。この対談でいろいろ渋谷系の話が出てきて、フミヤマウチさんの渋谷系観とかもあるじゃん。
CHABE:うんうん。
ネモト:それでCHABEくんの話聞くと、立体的になってきて面白いよね。
CHABE:そうですね。フミくんはDJ BAR INKSTICKで働いてて、僕らも入り浸ってたけど、あの人がやってるイベントはもうちょっと昭和歌謡とかで僕らとは違ってて。だから面白かったですけどね、いろんな人がいて。北沢夏音さんとかフミさんはBarfout!側の人っていうか。
ネモト:対立してるわけじゃないけど、派閥ってあったよね。
CHABE:クルーエルがBarfout!と一緒に事務所をシェアしてたことがあって、僕らはそこにちょこちょこ遊びに行ってたから、隣の人って感じ。あとはHIP HOP、LB(LITTLE BIRD NATION)とかも渋谷系の中にいるんだけど、隣の人って感じだったな。

(文・小山裕美)
後編はこちら
[PROFILE]
松田“CHABE”岳二(まつだ“ちゃーべ”がくじ)
 1970年、広島県生まれ。ソロ・プロジェクトのCUBISMO GRAFICO、バンド・スタイルのCUBISMO GRAFICO FIVE、キーボーディスト・堀江博久とのユニット、ニール&イライザ、DJ、リミキサーとして活躍中。また、FRONTIER BACKYARD、LOW IQ 01のライブバンドMASTERLOW, BACK DROP BOMB等のサポートも務める。2001年には、映画『ウォーターボーイズ』の音楽を手掛け、第25回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。昼間は原宿で kit galleryを主宰。夜は渋谷Organ Ban、三宿WebなどCLUBでのDJで現場を大切にした活動を展開。
 2015年の夏からは紗羅マリーとのバンドLEARNERSで活発に活動中。

https://twitter.com/cubitter

[PROFILE]
ネモト・ド・ショボーレ
POLYSICS、SCOOBIE DO、KING BROTHERS、THE NEATBEATS、毛皮のマリーズ、黒猫チェルシー、住所不定無職、うみのてetcなどを輩出したロックンロール・レーベル「DECKREC」主催。 ギタリスト として、チロリアンテープ・チャプター4、THE NERDS、The Mighty Mogulsなどのグループに参加。 2015年秋に、すべてTOY楽器を使ってロックンロールを演奏する「CHILDISH TONES」を結成。
 フリーの音楽プロデューサーとしても活動中。

https://twitter.com/DECKREC